阿波しじら織
独特の凹凸で、他に類をみない
清涼感溢れる肌触り。

四国三郎吉野川を母として、藍としじら織が生まれ、
         先祖を敬い五穀豊穣を願う本場阿波踊りの町…徳島。

徳島市は、徳島県の東部に位置し、吉野川が作り育てた沖積平野の三角州に発達してできた地帯で、西方は四国山地、東方は紀伊水道に接しています。土地は肥沃で気候が温暖なため、古くから農作物の栽培が盛んで、藩政時代には藍をはじめ、タバコ、塩などの産業も盛んでした。

◇しじら織の起り。

阿波しじら織の前身は、たたえ縞という不規則な縞の平織りでした。江戸時代の末期に徳島に住む、海部ハナという機織の上手な人が、織り上げた反物を戸外に出していたところ、突然の雨でシワだらけになってしまいました。

ところが乾くと、今まで見たこともないような凹凸がこの布にできていました。このまったくの偶然からヒントを得たハナ女は、その後工夫を重ねて、呉服商の阿部重兵衛と共同でしじら織をつくりあげたといいます。ひとりの女性の偶然から生み出されたこの織物に、正式に阿波しじら織という名がつけられたのは、明治2年(1869)です。

その後、阿波特産の本藍で染めた阿波しじらは、肌触りのよさから夏の普段着として愛用され、明治27年には型染めのものが、同38年には広幅のものが生産され、海外にも輸出されました。ところが大正になって、藍の主成分であるインジゴの科学染料が工業化されたことで衰退の一途をたどります。
         毎日新聞 織物の旅より

現在は長尾織布を含め5軒の機屋さんが普段着としての「夏物素材の代表“阿波しじら織”」の伝統技術を守り、商品改良と新規需要開拓に努力しております。

◇しじら織のからくり。

しじら織の糸使いは、経糸、緯糸共30番単糸、糸の細太や撚糸使いで、凹凸を出すのではなく、平織部と引揃部の組み合わせ組織の違いで出す。平織部は経糸6本を各々1本通しとし、引揃部は経糸6本を3本ずつ2条に引き揃えて製織するため、糸の張力差により変化に富んだ凹凸が生じる。