小千谷ちぢみ
新潟県のほぼ中央にあって、日本一の大河「信濃川」に育まれたまち小千谷。その豊かな自然の恵みは独特の文化をもたらし、小千谷ちぢみと錦鯉の発祥の地として知られています。今もなを昔ながらの伝統を受け継ぎ、美と業を追及しつづけています。
錦鯉
雪晒し(越後上布の風物詩)
金倉山より信濃川を望む
歴史

小千谷の麻織物の歴史はたいへん古く、記録の上では、延喜式に「交易雑物越後国商布一千段」とあります。また建久三年(1192)に、源頼朝が勅使に餞別として、越後布を贈ったという記録がありますから、織物としては約千年の歴史があることになります。当時この地方には、織物原料である良質な野生の苧麻(ちょま)が豊富にあり、この皮を「苧積み(おうみ)」と言う作業で作った繊維で織られた織物が越後布(えちごふ)と呼ばれ、雪深いこの地方の農家の自家用衣料として生産され、次第に商い用の布として使用されるようになりました。

この平らな織物越後布に改良を加えて、今日の小千谷縮を創始したのが、江戸時代寛文十年(1670)、明石の浪士、堀次郎将俊の一家です。緯糸に強い撚りをかけ、織り上げた後に小千谷独特の「シボ取り」という工程で仕上げをし、シボ(ちぢみじわ)を出し、夏向きの着尺として、快適な縮布が作り出されました。「シボ」を表現することが、従来の麻布に画期的な成果をもたらし、「小千谷縮」と呼ばれて、完成後わずか10年たらずの間に、魚沼地方一帯に広く普及し、小千谷、十日町、塩沢、六日町等の現在の織物産地を形成する基になりました。

また、元禄期には江戸幕府が一般武士の式服と定めたこともあって需要は激増し、縮問屋が成立しました。その後は、享保の改革、天保の改革等を通じ、段々と衰退をしていきます。明治期に入りますと、紡績糸の出現や一貫作業も行われるようになり、生産高は飛躍的に増加し、現在のような小千谷縮、小千谷紬の商品の誕生になってくるのです。

小千谷織物工房パンフレット
          「小千谷織物の歴史」より

いざり機
湯もみ

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