久留米絣織機の歴史と種類
織機は時代の流れとともに、作業効率を高め生産量を増加させ価格の低下を求め、幾多の先人達が技術改良を重ね現在にいたっているのです。
◆手織織機
いざり機
作業姿勢の形容によって、「いざり機」とよばれているもので、わが国在来の原始織機である。
高機(長機)
大和機又は京機といい。木製で作られ織手の位置を除いては全体の構造がいざり機より高くなっている。右の画像は博多織の帯を織っているもので、久留米では現存していませんでしたが、その他の産地(塩沢紬、牛首紬)等では、今でも活躍している織機です。
半機
いざり機は、織能率が悪く労力を要したので、それを改良したもの。明治20年古賀林次郎が、伊予機(高機)を改良して完成した。この半機は木製で綜絖(そうこう)ふみによって、杼口が開くもので、高機に比べれば軽量で小型であり、製織能率も数倍の効果をあげた。これにより久留米絣の量産への足がかりをつかみ、歌にうたわれたトンカラリンの杼の音が広く筑後路をにぎわした。
フランス機
明治6年(1873)京都府から派遣された佐倉常七などがフランスから持ち帰えり、翌年京都で使用したのがその最初です。当地では、明治の終わり頃取り入れられ、縞、矢根板絣、板絣を織っていた。
フランス機は、半機に「バッタン」(投杼と筬打ちをする装置)を取り付けた機で、筬框(おさぶち:筬を持っている木枠の部分)の左右に杼箱とピッカ−を備え、上方部に支点がある。
このバッタンは手織の織機としては画期的なもので、従来の半機よりもさらに進歩したもので、フランスバッタンの呼称で親しまれてきた。
足踏機
足踏機は英国人ラドクリッフによって考案され、力織機の動力の変りに足で運動をおこすように設計されたもので、足踏により機械全部を動かして、織物を織っていくように作られた織機である。旧来のバッタンよりも極めて簡単に操作ができ、性能もすぐれているので現在の手織織機として数多く使用されている。
◆動力織機
1758年英国人カートライトが発明した織機で、今日製作されている各種の力織機は殆んどこの原理から発展したといっても過言ではない。
わが国に力織機がはじめて輸入されたのは、慶応2年(1866)薩摩藩が英国のプラット社から鹿児島紡績所に据えつけ操業したのが最初である。日本製としては明治42年(1909)豊田式小幅動力織機 I式が開発され明治末から大正時代にかけて全国に普及した。しかし当久留米産地では非常におくれて、昭和9年備後の山本式織機12台を導入したのが最初である。
久留米絣技術保存会編集「久留米絣」より
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